江戸城無血開城と勝海舟

江戸城無血開城


西洋列強から日本を守る! 勝海舟 懇親の交渉

それに応えた西郷隆盛  2人による世紀の英断

 

[江戸城無血開城とは?]

慶応4(1868)年4月11日 戊辰戦争の最中
旧幕府軍は新政府軍に対して無抵抗で江戸城を明け渡しました。

幕末動乱におけるこの大英断が、結果的に西洋列強から日本を守りました。
立役者は旧幕府軍の勝海舟、そしてそれに応えたのが新政府軍の西郷隆盛です。

2人が下した判断が江戸の町を守り、日本が西洋の植民地になることはありませんでした。

江戸城無血開城

 

[2日後に迫った江戸総攻撃]

薩長土を中心とした新政府軍は、兵力で劣りながらも「鳥羽伏見の戦い」で幕府軍に勝利し、朝廷から「錦の御旗」を与えられて官軍となり、倒幕を成すべく江戸へ向かいました。

総大将の西郷隆盛は、倒幕強硬派として指揮を取っていましたが、勝との会談で江戸進撃を中止しました。
江戸総攻撃予定日のわずか2日前でした。

倒幕へ血気盛んな新政府軍が、旧徳川幕府の本拠である江戸城を包囲しながら、攻撃を取りやめました。
勝海舟が江戸城無血開城に向けておこなった交渉とはどんなものだったのでしょう。

 

[日本を守るために一人動きだした勝海舟]

幕府の陸軍総裁である勝海舟は、人口150万人の江戸を戦火から守るため、無抵抗で新政府軍に明け渡すという仰天プランを打ち出します。

このまま新政府軍と戦えば、江戸は火の海になり多くの民が犠牲になる。
それは財政悪化と国力低下につながり、そこをつけ込まれて日本は西洋列強の植民地になってしまうと考え、必ず阻止すると決断します。

勝海舟は、幕府内で早期停戦と無血開城を主張して一人動き出します。
幕臣でありながら、独自の国家感で日本の将来設計を最重要視していました。
さすが、信念と行動の男。その決断が揺らぐことはなく、江戸城開城交渉へと突き進みます。

勝海舟

 

[西郷隆盛と勝海舟の会談]

勝海舟が交渉を持ちかけた相手は、新政府軍で東征大総督府下参謀という総大将の立場にいた西郷隆盛。2人は旧知の仲で、お互いの能力と考えを認め合う関係でした。

慶応4(1868)年3月14日。
江戸の薩摩藩邸。

勝海舟から江戸城開城についての要望と考えを聞いた西郷隆盛は、
「総督府に持ち帰って協議しますが、明日の進撃は取り止めます。」
と独断で答えました。

最終的に、新政府軍が江戸を攻撃することはありませんでした。
江戸は戦火を免れ、西洋列強につけいる隙を与えませんでした。

国家の将来を考えた2人が下した歴史的英断です。

命がけで無血開城を実現した勝海舟こそ真の「公人」の姿であり、それに応えた西郷隆盛の器と視野の大きさにも敬意を表します。

 

ボブ
お互いを信頼し合っていたことは交渉成立に大いに影響していたはずです。
時代の変化って、人と人のつながりで起こるものなんですね。

勝海舟 西郷隆盛

 

[周到な事前交渉]

実は、この会談には事前交渉がおこなわれていました。

新政府軍が駿府(静岡市伝馬町)に達した時、勝海舟は予備会談をもちかけます。
交渉役に山岡鉄舟を抜擢し、勝邸で保護していた薩摩藩士の益満休之助を護衛につけました。

3月9日、山岡鉄舟は駿府の西郷の下へ駆けつけ、会談の申し入れをします。勝からの使者であると知り、西郷は山岡に会いました。

交渉に臨むと、西郷は山岡鉄舟の真摯な態度に感心し、江戸進撃を回避したいという幕府側の要望に耳を傾けます。その結果、交渉の席で西郷から山岡に対して以下の7つの条件が提示されました。

1) 徳川慶喜の身柄を備前藩に預ける。
2) 江戸城を明け渡す。
3) 軍艦をすべて引き渡す。
4) 武器をすべて引き渡す。
5) 城内の家臣は向島で謹慎する。
6) 徳川慶喜の暴挙を補佐した人物を厳しく処罰する。
7) 暴発の徒が手に余る場合は官軍が鎮圧する。

山岡は第1条以外は受け容れる姿勢を示しました。第1条についてはどうしてもならぬ旨を誠心誠意説き、保留扱いとなりました。

 

結果的にこの予備会談が、5日後の「西郷・勝会談」の交渉成立に大きく貢献します。

江戸総攻撃まで時間がないギリギリのスケジュール、強行人事で臨んだ交渉劇は、勝海舟の目指した結果になりました。勝海舟の執念と周到な準備が生んだ結果です。

そして忘れてはならない功労者が山岡鉄舟です。勝海舟とも西郷隆盛とも初対面!でありながら、これほどの大役をやってのけたのですから。

 

ボブ
国の将来を見据えた男たちの異次元的ファインプレーから、信念と行動力の大切さを学びたいです。

ありがとう。イケメン山岡鉄舟!

山岡鉄舟

 

[交渉決裂に備えた勝海舟]

勝海舟にとって江戸城開城は余裕のない崖っぷちプランでした。

それは勝の別の行動からもわかります。
西郷との交渉が決裂した場合に備えて、江戸の町と民の犠牲を最小限に食い止める策を準備していたと伝えられています。

1) 江戸城と江戸の町に火を放ち、進軍を防ぐ。その隙をねらって新政府軍に奇襲をかける。
2) 江戸湾に集結させた船に江戸市民を乗せて房総へ避難させる。
3) 徳川慶喜を外国へ亡命させる。

1)は過激ですね~。
上記すべての真偽は不明ですが、
勝海舟はこれほどの準備をして臨んだからこそ、交渉を成立させることができたのでしょう。

 

[江戸城無血開城の影響]

江戸の民は守られましたが、徳川家のシンボルである江戸城が何の抵抗もなく明け渡されたことの影響は甚大でした。
一連の戊辰戦争の中で、新政府軍の優勢を決定づけた象徴的な出来事となり、新政府軍の士気は高まりました。

しかしながら、高揚した新政府軍兵士には鉾先が必要でした。江戸進撃は、諸藩連合である新政府軍の結束強化も目的としたため、振り上げた拳(こぶし)をどこかに降ろさなければなりませんでした。

戦って勝利しないと収まりがつかないってことです。

倒幕を終えた新政府軍は、佐幕派の討伐に東北へと突き進みます。





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