西郷隆盛と大久保利通と征韓論

大久保利通


薩摩の両雄 西郷隆盛と大久保利通

下級武士の出身で 生家も近く 幼い頃から一緒に学びました。
年齢も西郷がわずか2歳上。

ともに薩摩藩士として激動の幕末を奔走し、維新を成し遂げ、明治政府樹立の立役者となりました。

大久保利通

当時、 まさに日本の双璧をなした2人ですが、鹿児島での人気は雲泥の差。

情に厚く、広く慕われ、郷土のために尽くして死んでいった西郷隆盛の人気は絶大ですが、
その西郷を死に追いやった大久保はどちらかというと嫌われ者(涙)です。

西南戦争で敵と味方に分かれて戦った2人は 仲が悪かったのでしょうか?!

 

 

[征韓論争で対立]

ただいま編集中です。

 

[大久保利通とはどんな人物?]

この難から逃げること 本懐にあらず

大久保利通の言葉です。彼の性格をよく表しています。

明治11(1878)年 東京・紀尾井坂で士族に暗殺されて世を去りました。
西郷隆盛が西南戦争で死んでわずか8ヶ月後のことです。

自宅から馬車で出勤する途中で6名の士族に惨殺されましたが、護衛は着けていませんでした。
大久保は普段から護衛を着けていなかったようです。

当時、大久保利通は内務卿(3回目)で、事実上の政府最高権力者でした。
自分の身を守りたければ護衛を着ければ済むこと。
西郷隆盛亡きあと 大久保には何かの覚悟があったのでしょうか。

死後に、多額の負債があることが判明しました。私費で公共事業などを行っていたようです。
公金で私腹を肥やすような政治家ではありませんでした。

 

大久保利通Webサイト「大久保のへそ」を現在構築中です。





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