西南戦争敗戦と西郷隆盛の最期

晋どん、 もう ここらでよか。


西郷隆盛 最期の日

明治維新を成し遂げ 明治政府と戦った男の心にあったものは?


1877(明治10)年9月24日未明。
西郷は静かに明治天皇がいる東(桜島の方角)の空を見つめ、深々と拝礼しました。

自分を重用してくれた明治天皇に対し、西郷は心から敬意を払い、感謝の気持ちをつぶやきました。

城山から見た桜島

 

なぜ明治政府と戦うことになったのか、
目指した理想と異なる現実ですが、西郷がそれをいまさら振り返ることはなく、
目の前に迫った自分の運命を受け容れている穏やかな表情でした。

錦江湾に目をやりました。

19年前、月照とともに失意の果てに入水したことを思い出しました。
自分だけが一命を取り留めたことに苦しみましたが、結果的にはこの出来事がきっかけとなって、
のちの西郷の思想の源が形成されます。

「天」や「道」の存在を意識し、自分に与えられた「天命」を理解するようになったのです。

月照を想い、錦江湾に向かって合掌しました。

 

[政府軍の城山総攻撃]

澄み切った空気に包まれ、時折ひんやりした風が頬に軽くあたります。
秋の足音が聞こえてきそうなほど静かな未明の城山です。

昨日、政府軍の参軍川村純義からの降伏勧告が届きました。しかし、それを無視したので、政府軍がどう出てくるかはわかっています。
もちろん この戦いに参加した時からこうなることは覚悟していました。

 西南戦争 城山の戦い

午前4時、政府軍の総攻撃が始まりました。
薩軍372人、政府軍7万人。

政府軍の弾丸に倒れる者が相次ぎます。

 

[西郷隆盛の最期]

そしてついに西郷も流れ弾を受けて、その場に倒れこみます。皆が西郷に駆け寄りました。
「潔く死のう」と誓い合いましたが、
西郷には生きて明治政府の姿勢を正し、理想の国をつくってほしかったと皆感じていました。

が、西郷は別府晋介にこう言いました。

「晋どん、 もう ここらでよか。」

思うように動かない体を東方に向け、静かに目を閉じ、拝礼しました。
別府晋介はたくさんの涙を流しながら 「ごめんやったもんせー!」と叫んで介錯しました。

西郷隆盛 49歳。 
激動の日本で新しい国づくりに命を燃やした男の波乱の人生に幕が下されました。

西郷隆盛

 

 

[西郷隆盛が託したもの]

ボブ
最期に西郷の頭をよぎったものは何だったのでしょうか。
感謝、後悔、悲しみ・・・・。人間ですから、いろいろあったことでしょう。

でも一番大きかったのは、日本の未来を誰かに託したいと切望する気持ちだったのではないかと思います。

西南戦争に参加する覚悟を決めた時、命は天に預けました。
そして自分の志を誰かに受け継いでもらうことを願って、「戦って死ぬ」ことを選んだのです。

死の直前、西郷の頭には、盟友大久保利通がの顔が浮かんでいたのではないかと思います。

 

 

[もしも、万が一]

もし、西郷隆盛が死んでいなければと考えてしまいます。
織田信長が死んでいなければ と同じくらいご法度ですが(笑)。

欧米列強に対抗できる日本をつくるという至上命題に取り組みながら、
日本人の中にある「温かさ」「美しさ」「品格」をどう活かしてくれただろうと思うと、
少しワクワクして、笑顔になってしまいます。

やはり、私にとって、西郷隆盛は日本史上最高の英雄なのです。

南洲翁終焉之地

西郷隆盛終焉之地





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